INTERVIEW

研究者インタビュー

富山大学 研究者インタビュー#51

2026年4月13日

俳句研究から「再検証」の意義を考える

田部 知季 先生

富山大学 人文科学系 准教授

田部先生は、従来の俳句研究に地方俳誌や社会背景などの視点を取り込み、再検証することで、俳論・俳句史を多面的に捉え直す研究に取り組んでいます。

 紹介

 俳句は日本の学校教育でも扱われており、皆さん一度は何かの機会に詠んだことがあると思います。元々江戸時代以来の俳諧は遊戯性、商業性の強い文芸でした。しかし明治20年代に正岡子規が「俳句は文学である」と主張し(俳句革新)、若い知識人層を中心に新しい俳句観が広がっていきました。明治期の俳句については、これまでも多くの研究が行われてきましたが、その多くが特定の俳人の事蹟や句そのものの解釈、評価に焦点を当てたものでした。

「研究を進め、実際に当時の文献から俳人たちの言葉や主張を探っていくうちに、これまでの解釈や評価は本当に正しいのだろうかという疑問が生まれました。過去を曖昧なままに追認し続けるのではなく、より精緻な情報に更新して後世へ伝えたいその根底にあるのは過去に生きた俳人へのリスペクトとも言えるかもしれません。」

 田部先生は、俳人・俳句だけでなく、当時俳句を取り巻いていた背景や文脈に目を向けることで、従来とは異なる、新たな俳論・俳句史への解釈を提案しています。

表1 近代俳句史系譜(田部先生にいただいた情報を筆者が編集)

明治25年 正岡子規が新聞『日本』に俳論を掲載し始める。
明治26年 『日本』に俳句欄が設けられる。
明治28年 若い知識人らを中心とした俳句の派閥が「新派」として注目され、子規らは「日本派」と評される。
明治30年 子規や虚子、碧梧桐らの郷里松山で俳誌『ホトトギス』が創刊される。
明治31年 『ホトトギス』が東京に移転し、以後虚子が編集の中心を担うこととなる。
明治32年 日本派の地方俳誌が現れ始める。
明治35年 子規が病没。『日本』の俳句欄は河東碧梧桐が継承する。

 

俳句史における俳誌・論争の重要性

 新聞とともに明治期の新たな俳句文化を支えていたのは俳句雑誌(俳誌)です。現在でも残る『ホトトギス』は子規の流れを汲む俳誌として有名ですが、明治30年代からそうした俳誌が発行され始め、その誌上で活発に論争が繰り広げられていました。子規の門弟である高浜虚子と河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の論争にまつわる例として、一句教えていただきました。

温泉(ゆ)の宿に馬の子飼へり蠅の声(明治36年)

 これは碧梧桐が詠んだ「温泉百句」の中の一句です。碧梧桐は実際目にした光景をありのままに詠んだのですが、虚子は可愛らしい馬の子と蠅(ハエ)の声というのは不調和だと批判し、それぞれに見合った別の趣向を提案します。こうして、事実を重視する「写生趣味」の碧梧桐と、趣向の調和を尊重して「空想趣味」を許容する虚子の対立が鮮明になったといいます。

「こういった対立は『ホトトギス』というメディアによって作られた側面もありました。注目されていた碧梧桐の句をあえて批判的に取り上げることで、雑誌をさらに盛り上げていたのです。さらに重要なのは地方俳誌もこうした論争に加わり、俳論を作り上げていたことです。こういった論争の背景は、一人の俳人の俳論や句を単独で見ていてもわかりません。俳誌、特にこれまで研究対象となりにくかった地方俳誌を見直すことで、忘れ去られてきた歴史的な文脈を明らかにしたいと考えています。」

 

富山の俳句文化を辿る

 地方の俳誌には、師匠・弟子筋を辿って全国から俳句の投稿が集まり、中には中央誌に劣らない発信力と影響力を持つものもありました。俳句文化は中央の著名俳人だけでなく、地方の多様な人々によって確立されたものだと言えます。しかし、現在では当時の活動が忘れ去られようとしています。富山の俳誌もその一つです。

高岡市和田には俳句結社越友会がありました。子規が主導した日本派の中でも最も早い時期に設立された会の一つで、碧梧桐が高岡を訪れたことがきっかけで生まれました。結社は俳誌を出版したり、句会を開いたりするサークルのようなものです。この越友会についてはまとまった記録があまり残っていませんが、現在も越友会メンバーの子孫が近くに暮らしているそうで、今後は資料収集・調査していきたいと考えています。」

 このような取り組みによって越友会の歴史や文化が明らかになれば、新たな地域振興の糸口にもなり得ます

 

今後の展望~俳句が根付いた歴史を解く~

 さらに田部先生が関心を持っているのは、俳句が「教育」や「世界」の中でどのように根付いていったかという点です。

 明治期に教科書を作り上げていった人々のなかには、西洋から伝わった「文学」に関する知識を持ち、子規が活躍し始めたころに俳句を嗜んでいた若い知識人たちも少なからず含まれていました。

「彼らは芭蕉などの古典に加え、子規らの新しい俳句を早くから教育のなかに採用しました。一方で、江戸以来の伝統を持つ『旧派』と呼ばれる俳人たちの句はほとんど採用されていません。誰が、どんな句を、どんな基準で選んだのかを明らかにしていきたいです。また、当時の文献には『俳句をどう教えていいかわからない』という教師の声が残っており、授業実践の実態も調査・検証したいと思っています。」

 また海外に目を向けると、俳句は明治期からすでに英語圏に紹介されており、フランスでも早くから”Haikai”として知られていました。俳句がどのように海外へ伝わり、移民や旅行者たちがどのようなコミュニティのなかで俳句を作っていったのかも調べていきたいと話していただきました。

 

おわりに

 最後に文学研究者としての想いをお話いただきました。

「文学研究とはある意味で、偏った情報を積み重ねた、暫定的な情報の再生産だと考えています。例えば、『子規は写生的な句を詠む人なんだ』という評価は、参照可能で有力そうな情報の偏りの中で、暫定的に考えられてきたものです。ところが、現在参照しやすい情報が絶対的な真実だとは限らないという前提が、だんだん忘れられている気がするんです。俳句に限らず、情報を別の角度から見直したり、より広範な情報を見たりして、更新していく姿勢が必要だと問題提起したいです。

 特に最近は生成AIによって、情報の生産速度が飛躍的に高まるとともに、信憑性の担保が非常に難しくなっています。極論としては、「過去が間違っていて何が問題なの?」という意見もあると思いますし、これからの未来、そうした現在志向の考え方がより支配的になっていくように感じています。過去がどうでもよく良くなってしまったとき、人類はどうなってしまうのか、こういったことを広く社会に問いたいと思います。」

 先生の研究姿勢には、文学研究を超えて、情報化社会で私たちが見落としがちな本質もフォーカスされているように感じ、深く考えさせられる機会となりました。富山大学に赴任されて約2年。今後の活動にも注目です。

 学術指導・共同研究等のご相談はOneStop窓口からお願いします。

(文責:学術研究・産学連携本部 コーディネーター 浮田)

 

リンク先

富山大学研究者プロファイルpure https://u-toyama.elsevierpure.com/ja/persons/tomoki-tabe/

Researchmap https://researchmap.jp/t_tabe

富山大学研究シーズ「明治期の俳句に関する研究」 https://sanren.ctg.u-toyama.ac.jp/seeds_search/search/detail/348

知のフロンティア~おもしろい富山大学~ 第21回 2025年11月4日(火)放送分 「“近代俳句”にみる富山」(人文学部) https://youtu.be/DF7gNL93CyE?si=9Bg91286v9Ev3vWB